日本のフリースタイルスキーモーグルの宝・川村あんり選手の両親は元アイスホッケー選手です。
父・母ともに実業団でプレーした過去があるようで、川村あんり選手にはその才能が受け継がれているんですね。
この記事では川村あんり選手の両親がどんな人なのか、アイスホッケー選手時代や現在の職業などを深堀り調査してみました。
実は母親は日本代表だった可能性もあるんです!
川村あんりの両親は元実業団アイスホッケー選手!
スキーモーグルで華々しい成績を収めている川村あんり選手のご両親は、実業団でアイスホッケーの選手をしていたことがわかっています。
まずはご両親の詳細についてまとめていきましょう。
【川村あんりの父親】
- 名前:川村修一
- 年齢:58歳(2023年8月現在)
【川村あんりの母親】
- 名前:川村綾子
- 年齢:55歳(2023年8月現在)
調べてみると父親の修一さんはアイスホッケー実業団チームのコーチをしていた可能性が高いです。
また、母親の綾子さんはアイスホッケーの日本代表選手だった可能性も出てきました。
スノースポーツの遺伝子がしっかりと川村あんり選手に受け継がれているのですね!
母親は日本代表だった?
川村あんり選手の母親・綾子さんは現役時代「コクドレディース」に所属されていたようです。
そして、アイスホッケーの女子日本代表選手だった可能性があるんです。
その根拠となるのは2018年4月29日放送の「ミライモンスター」で紹介されたこの写真。
母親・綾子さんが着ているユニフォームに注目してみてください。
調べてみるとこのユニフォームは、アイスホッケー日本代表が長野五輪で着ていたユニフォームとよく似ているのです。
こちらがアイスホッケー日本代表選手が長野五輪で着用していたユニフォームです。
オークションで出品されていたこのユニフォーム、説明文をみてみると「98年長野五輪アイスホッケー日本代表ユニフォーム」と書かれていました。
並べてみると、
どう見ても同じです。
となると、このユニフォームを着ていた川村あんりさんの母親・綾子さんはアイスホッケーの日本代表選手だった可能性があるのです。
しかし、歴代女子アイスホッケーの日本代表選手の名簿などを調べてみましたがその他の詳しい情報はわからずじまいでした。
日本代表と共に練習していたのか、はたまた控えの選手だった可能性もありますね。
さすがに番組側で写真を間違うのは考えられませんので、日本代表に関連する何かをやっていた可能性は高いです。
娘さんの活躍をみても、お母様のスポーツ万能な遺伝子がしっかりとあんり選手に受け継がれていることは明白です!
実業団チームのコーチをしていた父親
川村あんりさんの父親・修一さんは現役時代「西武鉄道アイスホッケー部」に所属していたようです。
その根拠となるのは、こちらも2018年4月29日に放送された「ミライモンスター」での写真です。
見づらいですが、あんり選手の父親・修一さんの現役時代のユニフォームには「SEIBU」とかかれているように見えます。
その後、西武鉄道アイスホッケー部は「コクドアイスホッケー部」に名前を変更。
さらに2006年に一般公募にて名前の候補を募り男子は「SEIBUプリンス ラビッツ」に、女子は「SEIBUプリンセス ラビッツ」生まれ変わっています。
この「SEIBUプリンセス ラビッツ」になったチームのコーチとしても、あんりさんの父親・修一さんは活躍していたとみられます。
名前と年齢が一致するので、おそらく川村あんりさんの父親・修一さんの可能性が非常に高いですね。
現役引退後は女子チームのコーチとして、アイスホッケーに携わっていたのですね。
ここで川村あんりさんの両親の所属チームを見てみると、
- 母親:コクドレディース
- 父親:西武鉄道アイスホッケー部
なのですがこれは実は同じチームなんです。
アイスホッケーを通じて出会われてご結婚されたのでしょうね。
川村あんりの両親の職業は?
期待されるモーグル選手として活躍する川村あんり選手のご両親はどんな仕事をされているのでしょうか。
若い頃はお父様もお母様もアイスホッケー選手として活躍されていましたが現在のご職業も気になるところ!
それぞれどんな仕事をされているのか調べてみました!
母親は専業主婦の可能性が高い
川村あんり選手の母親・綾子さんの職業について調べてみましたが、こちらはまったく情報を得ることができませんでした。
あくまで推測ですが、母親の綾子さんは専業主婦の可能性が高いのではないでしょうか。
その理由としては、スキーにすべてを注ぐ娘を全力でサポートするためです。
川村あんり選手はもともと東京出身ですが、スキーの練習をするために一時新潟へ移住したというエピソードがあります。
自宅は東京都東久留米市。冬場だけ湯沢町の小学校に通い、競技に集中できる環境を求めた。母綾子さん(54)が「中途半端になるより、冬は湯沢に滞在して、ずっとスキーをやろう」と理解を示し、2人は湯沢町で生活。週末に修一さんが合流する川村家の「スキー二重生活」が始まった。
いくら将来有望といわれている娘のためとはいえ、仕事をしていると娘と一緒に移住することは難しそうです。
また、川村あんり選手の祖父母は新潟の湯沢にリゾートマンションを所有しているという話もあります。
ある程度生活に余裕があるからこそ「娘のための二重生活」が可能なのではないでしょうか。
よって、母親・綾子さんはフルタイムで仕事をしている可能性は低い、ということが推測できます。
会社勤めの父親
川村あんり選手の父親・修一さんの職業についても調べてみました。
こちらも詳しい情報はみつけられませんでしたが、恐らく一般的なサラリーマンであるようです。
父・修一さんのSNSには「出張」や「休日出勤」についてのつぶやきが投稿されています。
調べてみると、投稿にある「2012年9月22日」は土曜日でした。
となると、普段は土日休みの仕事である可能性が高いですね。
また、東京と新潟の二重生活の際には、週末や年末年始に「湯沢到着」という旨の投稿もありました。
以上のことから推測すると、父親・修一さんは週末や年末年始がお休みの会社にお勤めではないかと推測できます。
ちなみに実業団選手は引退後、どんな職業についているのか調べてみると、やはり多いのは監督やコーチなどそのスキルを活かした職業に就いているケースが多いです。
しかし監督やコーチも狭き門。
引退後の実業団選手の一般企業への再就職は、社会人経験が乏しいとの理由で難しいのだそうです。
修一さんはその問題を見事にクリアしていらっしゃるようですね!
現在川村あんり選手のご家族は、元々暮らしていた東京東久留米市に戻ってきているそうです。
家族が揃って生活できているようなので、お父様もさぞ嬉しいでしょうね!
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川村あんりの両親の娘に対する想い
最後に川村あんり選手のご両親の娘さんに対する想いをまとめてみましょう。
2018年4月29日放送の「ミライモンスター」で母親の綾子さんはあんり選手に対して以下のように語っています。
- モーグルを初めて以来毎日楽しそうに練習していたので、やらせてあげたいと思った
- こうなって欲しいといった思いはない
- 自分で決めたことなので頑張ってほしい
「楽しそうにやっていたから」という理由でやらせてあげたいと思ったという母親・綾子さんの愛情の深さに頭が下がります。
娘を温かく見守って全力でサポートしていて素晴らしいですよね!
父親・修一さんもあんり選手のことを常に考えていらっしゃるようです。
前述のミライモンスターで、幼いあんり選手に用意していたというスケート靴が紹介されていました。
こんなに小さいスケート靴を用意していたなんて、娘にも小さい頃からアイスホッケーをやってほしかったのでしょうか。
この番組で父親・修一さんは以下のように話しています。
- アイスホッケーをして欲しいという思いではなく、していたら教えることはできた
- スキーをやるからには志高く取り組んで欲しい
アイスホッケーでなくてもスポーツに関わる者として志高く取り組んでほしいとの想いがあるようですね。
コーチをしていたお父様らしいコメントです。
平日は東京で仕事を頑張り、週末には娘の頑張りを応援しに新潟に行くという生活を長く続けてきた父・修一さん。
その想いは娘・あんりさんにしっかりと届いていることでしょう!
今後も川村あんり選手の更なる活躍を、ご両親と共に応援していきたいですね。
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