芳根京子の父親・芳根聡は元社長!億超え経営者からバー店長までの経歴も

 

芳根京子の父親・芳根聡は元社長!億超え経営者からバー店長までの経歴も

芳根京子 俳優

俳優の芳根京子さんの父親・芳根聡さんは異色の経歴を持っていて、波乱万丈の人生を送ってきたそうです。

一時は年商が億を超える社長でしたが、会社を辞めて農作業のお手伝いをしていたこともあるんだとか!

この記事ではそんな芳根京子さんの父親の仕事の経歴をメインにして、波乱万丈の人生をご紹介します!

父親を支え続けたのは家族のためという想いでした。

芳根京子の父親・芳根聡はどんな人?

芳根京子さんの父親の聡(さとし)さんは、2016年11月のデイリー新潮の記事によって初めて明らかになりました。

簡単にプロフィールを紹介します。

芳根京子の父親のフェイスブックページ

出典:芳根聡フェイスブック

名前:芳根 聡(よしね さとし)
生年月日:1960年4月5日生まれ
出身地:東京都杉並区
高校:東京都立富士高等学校
大学:立教大学卒業

芳根京子さんの父親・聡さんのfacebookページに、2014年頃に自ら書いた自己紹介がありました。

芳根京子の父親の自己紹介

出典:芳根聡フェイスブック

17歳の娘」とあるのが芳根京子さんですね。

父親・聡さんは後述する「スーパー・タンク」を立ち上げる前は、「246クラブ」というイベントスペースを運営されていました。

今ではそのクラブは伝説とまで言われているようですね。

金勘定とおもしろさは両立するのか」が父親・聡さんのテーマらしく、色々なことに挑戦してきた人生のようです。

芳根京子の父親は元社長!波乱万丈の仕事経歴!

年商2億の経営者を辞めるまで

クリエイターのイメージ

(画像はイメージです)

芳根京子さんの父親・聡さんは、広告業界で有名な敏腕クリエイターでした。

芳根の父親・聡さん(56)は、かつて広告の世界で成功を収めたクリエーター。92年に「スーパータンク」という会社を興し、JR東日本や日経新聞などの広告やイベントを手掛けたほか、BS放送の番組制作も行うなど、ピーク時は年商2億円を稼ぐまでになっていた。

 

出典:デイリー新潮(2016年11月10日)

父親・聡さんが32歳頃に立ち上げた「スーパー・タンク」の事業は、

  • 企業広告の制作
  • イベント運営
  • 番組制作

といった内容でピーク時は年商2億円だったようですね。

ビル

(画像はイメージです)

ところが転機が訪れます。

広告事業はホリエモンこと堀江貴文さんと共同で行なっていましたが、2006年1月ライブドアの証券取引法違反が発覚しました。

その煽りを受け、スーパー・タンクの経営も傾いてしまいます。

このとき芳根京子さんは9歳でしたが、一家はまともに食べていくことも難しくなってしまいました。

「金がなくなり、パンを齧る日々で、家族に苦労を掛けていると泣いていました」

 

出典:デイリー新潮(2016年11月10日)

会議室

(画像はイメージです)

経営に行き詰まったスーパー・タンクは、2007年1月に「オーエス」という会社の関連会社となりました。

オーエスはスクリーン製造といったハードウェアが主力事業の会社です。

父親・聡さんはオーエスから2000万円ほどの出資を受けて子会社として再始動することを選択したのでした。

ところが畑違いの社長とは馬が合わず、父親・聡さんはオーエスの社長に反発し1年余りで辞めてしまったんだとか。

「彼から“あなたはこの分野に関しては素人。口を出すな”と言われ、挙句、辞表を持ってきて、1年余りで辞めてしまいました」(同)

 

出典:デイリー新潮(2016年11月10日)

これがきっかけで、家族のために職を転々とする日々が始まったのでした。

農作業の手伝いも!

農業のイメージ

(画像はイメージです)

芳根京子さんの父親・聡さんは会社を辞めたあと、いろいろな仕事をされていたいようです。

一家の北海道移住を一人で勝手に計画し、下見を兼ねて単身、アイヌの里を訪問。数カ月間、住み込みで農作業を手伝ったり、東京に舞い戻っては、郵便局で配達スタッフとして働いたり……。現在、訪問介護の現場で働きながら

 

出典:デイリー新潮(2016年11月10日)

  • 住み込みで農作業
  • 郵便局で配達スタッフ(1年間)
  • 訪問介護

のように今までとは全く異なる業種の仕事ですよね。

北海道で農作業の手伝いもやっていた父親・聡さんでしたが、実は北海道のニセコの近くに芳根京子さんのご両親の実家があります。

ひょっとしたらその関係で北海道を選んだのかも知れませんね。

東京でバーも経営

バー

(画像はイメージです)

芳根京子さんの父親・聡さんはジャズバーでも働いていたようです。

 父は“家族に迷惑をかけたくない”と必死に働いた。

「北海道で農業をしたり、郵便局の配達員やジャズバーの経営もしていました。

 

出典:週刊女性PRIME(2021年8月26日)

2011年頃に父親・聡さんは北海道から東京に戻ると、東京都高円寺の『高円寺Art Bar天』というミュージックバーで働き始めます。

2015年1月にこちらのバーは事情があって閉店となるのですが、東京都阿佐ヶ谷北に移転して「阿佐ヶ谷天」として現在も営業されています。

父親・聡さんはこのミュージックバーで店長も務めたりもされました。

facebookを見るとライブの画像が多く、様々なイベントを行っていたようですね。

そのイベントの中には、週末の夜だけ芳根京子さんの母親おつまみを作ってお酒が飲めるパーティのようなものもありました。

芳根京子の父親のフェイスブック投稿

出典:芳根聡フェイスブック

そのイベントは「よしねや」というようですね。
父親・聡さんさんは楽しみながらも、家族のために懸命に働いていたことが分かります。

ちょうどこの頃、芳根京子さんは難病を発病しました:芳根京子は難病ギランバレー症候群だった!症状や克服エピソードも

本当に大変な毎日を過ごされていたと思われます。

芳根京子の父親想いエピソード

 

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父の日にプレゼント

芳根京子

出典:Twitter

芳根京子さんは現在も両親ととても仲が良いようです。

父親・聡さんの誕生日には手作りのフルーツタルトを作ったり、2016年の父の日には手作りのお揃いのiPhoneケースをプレゼントしたそうです。

この時作ったものは穴あきのメッシュケースに刺繍で模様を描くというもの。

父親の聡さんにはゾウさん柄のiPhoneケースをプレゼントされました。

芳根京子の父の日プレゼント

芳根京子さん自作のプレゼント(出典:Twitter)

とても細かい作業で愛情が詰まっていることが感じられます。

お揃いのiPhoneケースを手作りしてプレゼントするなんて本当に仲の良い親子ですね。

 

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豪邸をプレゼント

芳根京子

出典:Instagram

2021年8月26日の週刊女性PRIMEで、芳根京子さんが両親のために建て替えていた実家が完成したことが報じられました。

費用の大半や土地の名義も芳根京子さんだそうです。

まだお若いのに家を建て替えてしまうなんてすごいですね。

ジャグジーのイメージ

(画像はイメージです)

黒を基調とした2階建てのおしゃれなデザインの家で、風呂場にはジャグジーが付いているそうです。

この“マイホーム”には、芳根京子さんの父親への特別な思いが込められています。

京子ちゃんは大のお父さん子で、昔から“いつか私が稼げるようになって、楽させるから無理はしないでね”と心配していました

出典:週刊女性PRIME(2021年8月26日)

芳根京子さんは家族のために必死に働いてくれた父親に楽をさせてあげたいとかねてから思っていたようですね。

芳根京子

出典:Instagram

建て替えた家には、マッサージ機など両親の疲れを癒す癒しグッズが充実しているそうです。

実家暮らしの芳根京子さんは、そこで大切な家族との時間を過ごしているようですね。

年商億2円の経営者から農作業まで、がむしゃらに働いて家族を支えてきた父親・聡さん。

第一線で活躍する娘の芳根京子さんのことを立派に、そして嬉しく思っていることでしょうね。

芳根京子さんがプレゼントした豪邸のご実家で、これからも家族仲良く温かい時間を過ごして欲しいと思います。

以上、芳根京子さんの父親についてでした。

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