ミュージカル俳優の山崎育三郎さんは、野球で全国大会ベスト8に輝いた過去があるそうです。
相当な野球技術とセンスがあったということですが、実は引退試合のときから何年も後悔し続けていることがありました。
この記事ではそんな山崎育三郎さんの野球歴や野球部時代のエピソードを画像とともに紹介します!
後悔し続けていることの真相を知った山崎育三郎さんは、感動のあまり涙してしまったのでした。
【画像】山崎育三郎の野球歴や野球部経験は?
山崎育三郎さんの野球歴は6年で、小学校時代だけになります。
地元の少年野球チームに入って野球に没頭していました。
ここではそんな山崎育三郎さんの野球エピソードを、野球部時代の画像とともに見ていきましょう!
少年野球チームで全国大会ベスト8
2016年4月13日放送の「あいつ今何してる?」(テレ朝系)にて山崎育三郎さんは少年野球時代のエピソードを語られています!
山崎育三郎さんが野球を始めたきっかけは、2歳年上のお兄さんに連れられて地元の野球チームに入ったことでした。
そのチームというのが東京都港区にある「高輪クラブ」です。
伝統ある強豪チームです。
山崎育三郎さんは小学1年生の時に入部し、6年間ずっとレギュラーとして活躍していました!
強豪チームでずっとレギュラーということですので、山崎育三郎さんの野球の実力は相当なものだと分かりますね。
ポジションはピッチャーとキャッチャーでした。相当肩が強かったんでしょうね。
そして山崎育三郎さんが小学6年生のとき、高輪クラブは全国大会ベスト8という成績をおさめています。
野球チームの練習は厳しかったようですが、山崎育三郎さんには「甲子園出場」と「プロ野球選手」という夢がありました。
とにかく野球漬けの日々を送り・・・
チームの練習日以外も兄弟や友人と毎日公園でキャッチボールやバッティング練習に励んだそうです。
とても野球に夢中になっていた6年間だったのですね!
引退試合の感動エピソード
2016年の「あいつ今何してる?」では、山崎育三郎さんの18年間後悔していることも明らかにされました。
それは18年前の野球の引退試合、ベスト8に輝いた全国大会での出来事でした。
高輪クラブで主にキャッチャーを務めていた山崎育三郎さんですが・・・
監督の指示で突然山崎育三郎さんがピッチャーとして出場することに!
西武球場で投げられたという嬉しさ反面、自分が投げたせいで負けたと感じていたんだとか。
山崎育三郎さんは、その想いをずーーーっと持ち続けていたのです!!
番組ではその真相を、当時采配した高輪クラブの監督に聞いています。
監督によると試合直前の練習で、エースピッチャーが鼻血を出してしまったそう。
「動揺してベストパフォーマンスを発揮できないかもしれない」
そう監督は考えて山崎育三郎さんにピッチャーを託したのです。
それではなぜ山崎育三郎さんだったのかというと「山崎育三郎さんの腕を認め、信頼していたから」とのこと!
山崎育三郎さんが「自分のせいで負けた」と感じていることを伝えると、
監督は「大丈夫!自信を持って、気にしなくていい。」とおっしゃっていました。
高輪クラブは「負けたときは監督の采配、勝ったときは子供」という言葉も添えて。
監督の言葉を聞き、山崎育三郎さんは感動の涙を流していました。
18年間抱いていた後悔の念がすっと溶けていったのでしょうね!
甲子園を目指していたのに野球を辞めた理由
山崎育三郎さんは小学6年生で野球を辞める決断をします。
甲子園とプロ野球選手を目指していた山崎育三郎さんが、野球を辞めた理由は俳優になるためでした。
山崎育三郎さんの背中を押したのは、野球部時代の監督と弟の存在だったようです。
それぞれのエピソードを紹介します。
背中を押した監督の言葉
山崎育三郎さんは小学3年生のときから野球と週1回の歌のレッスンを両立させていたそうです。
当時おとなしい性格だったという山崎育三郎さん。
そんな息子を心配した母親が音楽教室に通うことを勧めました。
山崎育三郎さんは野球の全国大会が終わった後、子供主演「アルゴミュージカル」の全国オーディションを受けます。
そこでオーディションに合格し、山崎育三郎さんが主演に選ばれました!
嬉しい出来事だったのですが、中学校でも野球を続けるか迷っていた山崎育三郎さん。
野球チームの監督に相談したところ、両立できる世界じゃないから、どちらかに決断しなさいと言われたそうです。
野球への想いがとても強かった山崎育三郎さんでしたが、最終的にはミュージカルの世界を選ぶ決断をしました。
実は、野球チームの監督は野球を続けて欲しいという思いがあったんだそうです。
その理由は、山崎育三郎さんに野球のセンスがあったから。
山崎育三郎さんの決断を尊重された監督でしたが、将来、野球選手として活躍する姿を描いていたのかも知れませんね。
弟が兄の想いを胸に甲子園出場
山崎育三郎さんには2歳年下の弟がいます。
弟の厚四郎さんも野球をやっていて、山崎育三郎さんが辞めた後も甲子園目指して野球を続けていました。
そして、香川県にある強豪の尽誠学園高校に進学し、2年生のときに念願の甲子園出場を果たしています。
かつて甲子園を夢見た兄・山崎育三郎さんの想いを胸に野球を続けていたことでしょう。
尽誠学園高校は甲子園常連校ですのでレギュラー争いもハイレベルです。
弟の厚四郎さんはレギュラーではなかったようですが、スコアラーとして名前が載っています。
ベンチ入りはできませんでしたが、強豪校で3年間野球に没頭した高校時代。
弟・厚四郎さんの野球技術も素晴らしかったと想像できます。
山崎育三郎さんはこのような弟の姿を自分に重ねていたのではないでしょうか。
弟の甲子園出場は山崎育三郎さんにとってもうれしい出来事であり、俳優業に思いっきり集中する原動力となっていたはずです。
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山崎育三郎の野球に対する想い
山崎育三郎さんにとって野球が本当に大切な存在だと分かる言葉があります。
それは憧れの選手、元プロ野球選手の古田敦也さんとの対談でのことでした。
僕、人生で大事なことの多くは、野球から学んだような気がしているんです。
みんなで喜びや苦しみを分かち合うこと、自分を犠牲にしてでも仲間を生かすことなどあらゆることを野球から学んだと山崎育三郎さんは振り返られています。
現在ミュージカル俳優として活躍されている山崎育三郎さんですが、すべての原点は野球にあったのかもしれないですね。
MLB開幕戦や甲子園開会式で歌を披露するなど野球に関する仕事も多くされている山崎育三郎さん。
これからも山崎育三郎さんの歌と野球のコラボレーションに期待したいと思います!
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