今大人気の田中圭さんですが、子供の頃はどのようなお子さんだったのでしょう。
どんな顔立ちだったのか、どのような学生時代を過ごしたのか気になりますよね!
この記事では、田中圭さんの幼少期から中学校時代までのエピソードを画像とともに紹介しようと思います!
田中圭の子供の頃 ~幼少期時代~
田中圭さんの幼少期はゲームが好きであったり、母子家庭であったりなかなかの波乱万丈な日常をおくっていたそうです。
名前の由来なども面白く以下の内容を説明していきたいと思います。
「圭」という名前の由来
田中圭さんは東京都江東区大島で生まれました。
そして「圭」というお名前はお母さんがつけました。
「裏表のない子に育つように」という思いから左右対称の文字にしたそうです。
田中圭さんはこの名前が好きだと話しています。
田中圭は母子家庭で育った
田中圭さんはお父さんを幼い頃に亡くし、お母さんが仕事をしていたため、同居のおばあちゃんに育てられました。
また、兄弟がいなくて一人っ子だったこともあり、一人で遊ぶことが多かったようです。
親に遊んでもらった記憶があまりないそうで、手のかからないいい子だったと田中圭さんは話しています。
よく本も読んでいたそうですよ。
子供の頃は狭いところが好きだった
狭い所が好きで、上の画像のように戸棚に入ったりしていました。
狭い所が好きなのは、田中圭さんがねずみ年だからって言われていたとか。
水槽の金魚は縁日で取ったものだそうですよ。
田中圭の子供の頃 ~幼稚園時代~
田中圭の初恋の相手は幼稚園の先生
田中圭さんの初恋の相手は幼稚園の先生です。
その先生が通るたびに、スカートの下をスライディングしていたそうですよ!
やんちゃな子供だったみたいですね。
ちなみに人生でバレンタインチョコを一番多く貰ったのは幼稚園の時だそうです。
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子供の頃は1人で店番や電話対応をしていた
田中圭さんは幼稚園時代、お母さんがいないときは、1人で家業の店番とかをしていました。
また、電話対応の評判が良かったそうで、留守番中にお母さんに用事があってかけてきた人に、
「今母は外出しておりますので、何かご用件がありましたら伝えておきます」
という対応をしていたんだとか!
幼稚園児でこの対応は凄いですよね!
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子供の頃は習い事をたくさんしていた
田中圭さんは幼稚園の頃、絵画、ピアノ、ヴァイオリンを習っていたそうです。
バイオリンを弾く上の画像は、発表会のものでしょうか。
これらの習い事は自分からやろうと思った訳ではなく、やるように言われて始めたものだとか。
習い事は長くは続かなかったようで、楽器は今は何も弾けないそうです。
田中圭の子供の頃 ~小学校時代~
田中圭さんは、東京都中央区立久松小学校出身です。
こちらの小学校に越境通学されてたようですね。
小学校5年生のときに大島から亀戸に移って、それから20歳まで住んでいました。
麻雀を小学校3年生の時に始めた
田中圭さんは小学校3年生の時に麻雀を始めました。
麻雀といっても、牌を使った麻雀ではなく、ゲーム機での麻雀になります。
駄菓子屋とゲームセンターが一緒になっているお店に、麻雀ゲームをしによく通っていたそうです。
そこにあるアーケードゲーム機は、50円でできる格闘ゲームは大人気でいつも行列ができていました。
ですが、20円でできる麻雀ゲームは人気がなく誰もやっていなかったのが麻雀を始めるきっかけでした。
この麻雀はなんと脱衣麻雀だったのですが、本を買って独学で1年かけて覚えたそうですよ!
この話は2018年7月17日の「Mリーグ」発足の記者会見時にサポーター代表の田中圭さんが話していたものです。
Mリーグとは麻雀のプロスポーツ化を目指して発足したもので、10月1日に開幕しました。
「今までのイメージを払拭して健全でスポーツ的なものにしたい」という発足理由なのですが、このような話をする田中圭さん・・・さすがです!
田中圭は子供の頃からゲームが大好き
田中圭さんは小学生の頃は越境通学をしていたので、地元には友達がいなかったそうです。
地元で一番仲良しだったのは麻雀ゲームをがあるゲームセンターのおじさんだったんだとか。
そんな田中圭さんですが大きくなるにつれてゲームセンターに1人で行くことが恥ずかしくなり、家でゲームをするようになりました。
スーパーファミコンやプレイステーション、セガサターンのようなゲーム機で楽しんでいたそうです。
この経験は、2013年10月~12月放送の連続ドラマ「ノーコン・キッド ~ぼくらのゲーム史~」(テレビ東京系)で大いに発揮(!?)されました。
この作品は、田中圭さんの連続ドラマ単独初主演のものになります。
田中圭さんは今でもゲームが大好きだそうですよ!
田中圭はミニバスで全国優勝を経験
田中圭さんは小学1年生の時からバスケットを始めました。
お母さんがNBAが大好きで田中圭さんにバスケットをさせたかったようです。
東京YMCAというクラブチームに所属していました。
このチームで全国優勝もしているそうですよ。
バスケについてはこちらで:田中圭のバスケ動画集!ロングシュートや滑らかなドリブルも!
子供の頃にいじめられっ子から人気者になった
田中圭さんは子供の頃から頭が良く、小学校のテストでは100点以外取ったことがないそうです。
バスケットをしていたこともあり運動もできたので、大人たちからは「神童」って呼ばれていました。
ですが、それが原因なのか、今まで誘われたこともなく、気付いたら友達がいなかったそうです。
いじめられていたのに気づいていなかったと田中圭さんは話しています。
小学校3、4年生の頃、男女混合でドッヂボールをやる機会がありました。
当時、田中圭さんをいじめていたガキ大将的な少年が、至近距離で強く田中圭さんにボールを投げてきたそうです。
田中圭さんはそれを見事にキャッチして当て返したところ、ガキ大将は号泣して靴を振り回して追いかけ回してきました。
それ以降、周りの生徒の反応も変わり、人気者になったそうですよ!
田中圭の子供の頃 ~中学校時代~
田中圭さんは、千葉県にある全国屈指の進学校で中高一貫校の私立渋谷教育学園幕張中学校・高等学校に通っていました。
とても頭が良かったのですね!
上の画像は学校案内のパンフレットだそうで、在学中にモデルをつとめていたそうですよ!
頭の良さについてはこちら:田中圭の頭がいいと言われる理由は?高学歴でトーク力が凄かった
田中圭の初デートは中学校2年生の時
田中圭さんは中学校でもバスケ部に入部しましたが、その時はモテていたと自分でも話しています。
そんな田中圭さんの初デートは中学校2年生の時だったそうです。
初デートの日は女の子と2人でいましたが、特に会話も無く、ただ一緒に歩いていたそうです。
そして、特に予定を立てていなかったからなのか、行く場所も見つかりませんでした。
女の子をどこかでゆっくりさせてあげたいと思って考えたところ、田中圭さんはある場所を思いつきました。
それが友達の家だったそうです!
2人で友達の家に上がって3人でしばらく居たらしいですが、その友達は気まずかったでしょうね。
この日、田中圭さんは初めて女の子と手を繋いだのだそうです。
手を繋いでいるとき、手に凄く汗をかいてしまったので、拭いた方がいいのか離していいものなのか・・・。
そのようなことを考えていた初デートだったそうです!
怪我のためバスケットボールを辞めた
バスケ部の部員は15名程度でしたが、仲が悪かったらしく4つの派閥に分かれていたといいます。
ですが、試合の時は一致団結していたようで、田中圭さんの代では市の大会で優勝し、県大会に学校として初めて出場しました。
そんな一生懸命打ち込んでいたバスケットでしたが、田中圭さんが中学校3年生の時、右足首のじん帯を怪我してしまいます。
怪我が治った後、その右足をかばっていると、今度は左足のじん帯も怪我してしまったそうです。
怪我をして引退試合にも出られなくて、「なぜ自分はここにいないんだろう」って泣いたんだとか・・・。
大事な試合に出られなくて悔しかったでしょうね。
怪我で中学3年の終わりから、高校1年にかけて10カ月くらいバスケをやってないかったそうですが、本気のバスケットは高校1年生の時にやめにしました。
田中圭さんは中学校3年生の時に怪我をしてやさぐれそうになったそうです。
そんな姿を見かねて、お母さんからオーディションの話を勧められました。
最終的に田中圭さんは高校1年生の時に芸能界へ足を踏み入れることになります。
以上、田中圭さんの子供の頃でした。
小さい頃の写真はもっと見てみたいですよね!
これからも頑張る田中圭さんを応援したいと思います!
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