日ハム監督の新庄剛志さんは、整形に何千万円も使ったり海外で生活していたりとセレブなイメージですよね!
どれだけ野球で稼いだんだ?と思われた人も多いハズ。
そこでこの記事では、新庄剛志さんの現役時代の年俸推移を調べてグラフにしてみました。
タレント時代の収入や驚きの生涯年収もあわせてご紹介します!
新庄剛志の年俸推移をグラフで!
新庄剛志さんがプロデビューしてからの年棒推移のグラフは以下になります。
グラフの縦軸が年俸で横軸が時期(西暦)です。
新庄剛志さんは年棒をグングン上げていることが分かりますよね!
大幅に年棒をアップされた時期をまとめてみました。
- プロ4年目/デビュー当時の6倍(1993年)
- メジャー2年目/1993年の6倍(2002年)
2度も6倍の年棒になっているところがさすがはスターですね。
プロ野球選手として初めての年棒は360万円だったのだとか。
デビュー当時360万円だった年棒は、4年目にして2,200万円までアップしました。
その後メジャーリーグのサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、年棒は1憶3,500万円になった言われています。
デビューから4年で6倍、その9年後にはさらに6倍の年棒となったということですね。
スポーツ選手は怪我などで試合に出られなくなる可能性もあります。
ここまで年棒をアップさせているのは新庄剛志さんの努力の結果ですね!
新庄剛志の年俸推移と年度別成績一覧
新庄剛志さんがこれまでに所属していたチームと所属していた時期をまとめると以下のようになります。
- 1990年~2000年 阪神タイガース
- 2001年(メジャー) ニューヨーク・メッツ
- 2002年(メジャー)サンフランシスコ・ジャイアンツ
- 2003年(メジャー) ニューヨーク・メッツ
- 2004年~2006年 北海道日本ハムファイターズ
- 2021年~現在 北海道日本ハムファイターズ監督就任
野球選手などのスポーツ選手の収入を表す時に年棒という言葉が使われますが、年棒と年収には大きな違いがあります。
- 年棒=球団などとの1年間の契約金
- 年収=全ての仕事で得た1年間の収入
年棒契約しているスポーツ選手が広告やテレビ出演などの仕事をした場合、年棒+その他の収入=年収になるということですね。
現役時代
新庄剛志さんの現役時代の年棒をまとめると以下のようになります。
(本塁打とはホームランの数です。)
年 | チーム | 年棒 | 打率 | 本塁打 |
1990 | タイガース | 360万円 | .00 | 0 |
1991 | タイガース | 400万円 | .118 | 0 |
1992 | タイガース | 460万円 | .278 | 11 |
1993 | タイガース | 2,200万円 | .257 | 23 |
1994 | タイガース | 4,300万円 | .251 | 17 |
1995 | タイガース | 5,500万円 | .225 | 7 |
1996 | タイガース | 2,800万円 | .238 | 19 |
1997 | タイガース | 5,700万円 | .232 | 20 |
1998 | タイガース | 7,300万円 | .222 | 6 |
1999 | タイガース | 6,200万円 | .255 | 14 |
2000 | タイガース | 7,800万円 | .278 | 28 |
2001 | メッツ | 2,200万円 | .238 | 10 |
2002 | ジャイアンツ | 1憶3,500万円 | .238 | 9 |
2003 | メッツ | 6,000万円 | .193 | 1 |
2004 | 日本ハム | 8,000万円 | .298 | 24 |
2005 | 日本ハム | 8,000万円 | .239 | 20 |
2006 | 日ハム | 3億円(最高年棒) | .258 | 16 |
阪神タイガースに所属していたころの成績を見ると、1995年に一度成績が落ちて1996年には再度試合での成績があがっています。
それに比例して 1995年には5,500万円だった年棒が1996年には2,800万円に下がっていますよね。
その後も成績に合わせて年棒は変動し、2000年(28歳)の時に阪神タイガースとしては最高年棒の7,800万円まで年棒があがったと言われています。
阪神タイガースでは10年間活動していましたが、入団当初と比べて21倍(7,440万円)も年棒がアップしているところがすごいですよね!
阪神タイガースからメジャーに移籍した新庄剛志さんですが、当初阪神タイガースからは残留のために12億円を提示されていたのだとか。
12億円もの大金を提示されていたにも関わらず、メジャーへの挑戦を選んだところから新庄剛志さんがチャレンジ精神豊富なことがわかりますよね。
新庄剛志さんがメジャーリーグで所属していたチームは2つ。
- ニューヨークメッツ
- サンフランシスコジャイアンツ
この中でもサンフランシスコ・ジャイアンツでの年棒は、日本円にして1憶3,500万円をたたき出しました。
その後は再度ニューヨーク・メッツに移籍しています。
メジャーリーグでは3年間活躍し、再び日本に活動拠点を移した新庄剛志さんは北海道日本ハムファイターズに移籍することとなりました。
メジャーリーグのころの成績と比べて出場した試合での本塁打数が増えていることがわかります。
その結果もあり、3年目となる2006年(34歳)には現役時代最高年棒の3億円の年棒となりました。
メジャーリーグから北海道日本ハムファイターズに移籍した新庄剛志さんは、1年目で客席を満員にしたボーナスとして5,000万円もらったのだとか。
北海道日本ハムファイターズ1年目の年棒は8,000万円だったので、ボーナスと合わせて1憶3,000万円の収入があったことになりますね。
新庄剛志さんは、北海道日本ハムファイターズ時代にCMやテレビ出演でもらったギャラは7億や8憶だったそうです。
北海道日本ハムファイターズでの最高年棒は3億円ですが、その他の仕事でのギャラを合わせると10億円くらいの収入があったのかもしれません。
野球選手として球団から出された年棒よりもCMなどのギャラが高かったことがわかりますね。
タレント時代
新庄剛志さんは現役を引退したあとの年収については公表していませんが、引退後もオファーを受けた仕事のギャラが高いことでも話題になりました。
そんな新庄剛志さんは、野球選手としての年棒よりもタレントとしての収入が多かったことを公表しています。
収入だけでいえば野球の方が副業みたいな感じだよね(笑)
人気があった新庄剛志さんならではのエピソードですが、本業の野球よりもタレント業での収入があったところがさすがですね。
そんな新庄剛志さんがタレントとして活躍していた仕事内容は以下です。
- テレビ出演
- CM出演
- 広告
現役を引退した当初と比べエンタメ業界の羽振りが悪くなったこともあり出演ギャラは変動したようですが、過去にはこんな発言をしています。
俺のコマーシャルの撮影って6時間って決まってるんですよ。6時間で1憶円。
6時間1分超えたら1憶円の倍貰わないといけない
出典:YouTube(2021年4月10日)
1つのCM撮影をすると、1憶円のギャラが発生していたようですね。
また、フェラーリのCM撮影はメイク中に1ショット撮影されて8,000万円のギャラだったこともあるのだとか。
フェラーリの撮影はマネージャーがサッと撮影したそうですが、ほんの数分の撮影で8,000万円というギャラは破格ですよね。
それだけ新庄剛志さんには影響力があった証しなのではないでしょうか?
2020年9月25日放送「ダウンタウンなう」(フジテレビ系)に出演した際には、10本の仕事をこなして7,000万円のギャラが発生したと話していました。
10本で7,000万円ということは、1本700万円の仕事をこなしたことになりますよね。
現役引退後もさまざまな分野で活躍していたため、球団からの年棒よりも収入が多かった可能性があるのではないでしょうか?
監督時代
新庄剛志さんは2021年に北海道日本ハムファイターズの監督に就任しましたが、その年棒も話題になりました。
単年契約で推定年俸は1億円。
単年契約ということは、毎年1憶円で監督として契約しているということになりますね。
合わせてテレビ出演や広告などの収入が入るため、新庄剛志さんの収入は今後もっと増えていく可能性もあるのではないでしょうか?
新庄剛志の生涯年収が衝撃の額!
新庄剛志さんの生涯年収は2020年までで63億円以上の可能性があります。
現役時代には50億円稼いだことを公表していました。
新庄剛志さんが現役選手として活躍していた時の年棒推移を合計すると11億7,200万円です。
差額の約39億円はテレビや広告などの収入になるので、年棒よりも他からの収入が多かったことは明らかですよね。
仮に1年に1本のCMを撮影したとすると、新庄剛志さんの場合1年に1憶円以上の収入があることになります。
新庄剛志さんは2007年に現役を引退し、2020年までは主にタレントとして広告やテレビ出演をしていた13年分の収入は13億円以上の可能性もあるのではないでしょうか?
今後もお茶の間を賑わす新庄剛志さんに注目ですね!
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