若手実力派俳優の横浜流星さん!
イケメンというだけではなく、演技力も高く評価されています。
そんな横浜流星さんですが、どんな子供時代を過ごされていたのでしょうか。
かわいい画像とともに、初恋やその他のエピソードを紹介しようと思います!
横浜流星の子供時代 ~幼少期~
「流星」は両親が命名
横浜流星さんの「流星」という名前は、両親が考えてつけられたそうです。
その由来は、「何か1つ自分に自信が持てるものを持って輝いて欲しい!」からだそうです。
素敵な名前ですよね!
横浜流星さん本人も凄く気に入っているそうですよ。
そして、お父さんから聞いた話なのだそうですが、横浜流星さんが生まれた時に流れ星を見たんだとか!
なんか運命を感じますよね。
それにしても、赤ちゃんの時の画像はとってもかわいいですよね!
ほっぺたがぷっくりしていたので両親からは「大将」と呼ばれていたそうです。
1歳下の弟が大好き過ぎるやんちゃなお兄ちゃん
横浜流星さんの家族構成は、お父さん、お母さん、弟さんと横浜流星さんの4人です。
横浜流星さんは1歳下の弟さんが大好きなんだそうです。
お母さんが洗濯しているときに弟さんを連れ出して迷子になったり、買い物中にも一緒にどこかへ行って迷子になったり。
幼少期の頃は弟さんと常に一緒にいたそうです。
横浜流星さんはやんちゃなこともたくさんしていたそうで、弟さんと家で遊んでいたとき、夢中になりすぎて窓ガラスを割ってしまったことも。
元気いっぱいのお子さんだったようです。
ちなみに弟さんは空手ではなくサッカーをやっていたそうです。
まつ毛はこの頃から上がっていた
この画像は幼稚園の頃の画像です。
横浜流星さんの目に注目です。
目がぱっちりしていて本当に可愛いですね!
まつ毛が長くて上にあがっていることが度々話題になる横浜流星さんですが、この頃からこうなっていたそうです。
自分であげている訳ではないんですね。
そして、こんなかわいい見た目でしたので、よく女の子に間違われたそうです。
ディズニーランドに遊びに行った時も、女の子だと思われることがしばしば。
横浜流星さんはそのように女の子らしいと思われるのが嫌だったらしいです。
ですのでまつ毛も幼少期の頃は嫌いだったそうなのですが、今では皆が褒めてくれるので自分の好きな所になったそうですよ!
横浜流星の子供時代 ~小学校時代~
横浜流星さんが通っていた小学校は明らかにされていませんが、埼玉県の小学校に通っていたと思われます。
名前が「流星」なので、流れ星にちなんで横浜流星さんは友達に囲まれてよくお願いごとをされていたんだとかw
極真空手を始めたのは小学校1年生の頃
横浜流星さんは小学校に入学したときに両親の勧めもあり、何か習い事をしたいと思ったそうです。
野球やサッカー、水泳など色々なスポーツを試しにやってみたそうですが、一番楽しかったのは空手だったんだそうです。
横浜流星さんは自分から両親に「空手をやりたい」と言いました。
中学校3年生で世界一になるくらいの実力者ですから、初めから強かったのかと思いきや、最初の頃は全然勝てなかったそうです。
横浜流星さんは、空手を通じて強い精神力を培うことができたと話しています。
空手の試合動画はこちらで見れます:横浜流星の空手動画集!ガチな公式試合からカッコいい型・蹴りまで
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芸能界に入るきっかけはスカウト
横浜流星さんが芸能界へ入ったきっかけはスカウトです。
それは小学校6年生の夏休みに、家族と初めて原宿に行った時のこと。
横浜流星さんが竹下通りを歩いていると、今の事務所の方がお父さんに声を掛けてきたそうです。
その時の横浜流星さんの身なりは本人曰く、「髪はボサボサで服もぐちゃぐちゃ」だったので、よく声を掛けてくれたなぁとインタビューで話しています。
横浜流星さんはその時、スカウトとかよく分からなかったんだとか。
ですので、最初は軽い気持ちでしたが、「自分の知らない新しい面を引き出せるかも」と思ってスカウトを受けることにしたんだそうですよ。
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初恋の相手と両思いに!
横浜流星さんの初恋は小学校6年生の時です。
そのお相手は同じクラスで勉強も運動もできる女の子。
横浜流星さんは、その頃は空手を一生懸命やっていたため、恋の優先順位は低く、その女の子は少しだけ気になる存在のままでした。
ところがある日、横浜流星さんは友達づてに、その女の子が自分のことを好きだという話を聞きます。
小学生にとっては恋の話は恥ずかしいものですよね。
横浜流星さんは内心嬉しかったそうですが、恥ずかしいので「ふーん」と関心の無い素振りをしたんだとか。
それ以降、その女の子を意識するようになります。
横浜流星さんはインタビューで、「片思いの経験は無い」と話していたこともあるので、この時は恋愛感情ではなく「意識する程度」だったのでしょうか。
そして、恋の展開があったのは卒業式の次の日です。
その日は、仲良くしている友達グループで東京ディズニーランドに行ったそうです。
すると、偶然にもその女の子のグループも遊びに来ていました。
実は、横浜流星さんの友達が女の子のグループと連絡を取り合っていたんだとか!
みんなから「連絡先を交換したら」と言われましたが、恥ずかしいので、強がって「しねーよ!」と言ってみたり。
でも横浜流星さんは、友達がアトラクション待ちで並んでいる時、こっそり女の子と連絡先を交換することに成功!
その後も「どの乗り物乗ってるの?」とかメールのやり取りをしていたそうですよ。
この日以降の2人の進展ですが、横浜流星さんはニュースサイトの取材で自身の初恋について聞かれた際に、
「初恋で両思いになった時、手をつないだり、買い物へ行くのにもいつも緊張してしまい、顔に出ないように頑張っていた」
と話していることから、その女の子とは無事に交際することができたようですね!
横浜流星さんはこの恋の経験を、2018年5月26日公開の映画「兄友」の撮影をする時に思い出しながら演技していたそうです。
横浜流星さんの歴代彼女の噂はこちら:横浜流星の歴代彼女は誰?西野七瀬や篠田麻里子とも噂に!
横浜流星の子供時代 ~中学校時代~
横浜流星さんが通っていた中学校は、埼玉県北葛飾郡松伏町立松伏第二中学校です。
プロゴルファーの石川遼選手やバレーボールのゴッツ石島選手の母校でもあります。
雑誌モデルやCMの仕事も
横浜流星さんは中学校に進学後も、空手中心の生活を続けます。
そのため、事務所のレッスンもあまり受けていなかったんだとか。
そんな横浜流星さんでしたが、中学校1生の頃から「ニコプチ」という小学生向けファッション雑誌のモデルをしていました。
横浜流星という字面の強烈な既視感の謎がようやく解けた、これだ瀬南が載ってるから買ったニコプチに、ランドセル背負ってブルークロスを着た中2の彼がいたちなみに相手役の女の子はトッキュウ5号の森高愛という奇跡 pic.twitter.com/RlWM4sDK06
— はる (@sometani6roku2) 2017年2月19日
初登場は2010年2月22日でこの雑誌では初の男性専属モデル(通称メンモ)になりました。
また、中学校3年生の頃からは、ニコラというファッション雑誌に2011年9月号から登場しています。(約4年間ニコラのモデルをしていました)
その他の仕事では、栄光ゼミナールという塾のCMにも出演しています。
2011年の頃からですので、横浜流星さんが中学校3年生の時でしょうか。
最初は何をすればよいか分からずに戸惑いながらやっていたそうですが、仕事が終わった後に凄い達成感を感じられたそうです。
また、横浜流星さんはEBiDANという若手俳優集団に所属していた時期もあり、「保健室」という4人組ユニットを組んでいました。
EBiDANの小劇場公演にも参加しています。
そして、中学校3年生から高校1年生にかけての頃には、仮面ライダーフォーゼにも6話出演されています。
球技が苦手で先生の頭へサーブ
横浜流星さんは運動神経が抜群なのでスポーツは何でもできると思いきや、球技はもの凄く苦手なんだそうです。
2014年11月7日に発売されたファーストDVD「R」のイベントでは、横浜流星さんがエアバスケを披露したそうなのですが、あまりのカッコ悪さに会場がざわめいたんだそうw
そして球技苦手エピソードは中学校時代にも。
体育の授業でバレーボールの試合をしていたそうです。
横浜流星さんがサーブをすると、審判をしていた先生の頭に当たってしまったんだとか!
その日は授業参観日で横浜流星さんのお母さんも来ていましたが、思わず笑ってしまったそうです。
その時の状況が目に浮かびますねw
ちなみに横浜流星さんは陸上部だったそうで、大会の出場経験もあるそうですよ。
中学校3年生の時に空手で世界一に
横浜流星さんは中学校3年生の時の2011年11月上旬に行われた「国際親善空手道選手権大会の13歳14歳男子55Kgの部」で優勝しました。
国際大会ですので世界一です!凄いですよね!
小さい頃から週5~6回の練習に通い続けて厳しい練習を続けてきた成果です。
横浜流星さんは座右の銘の「継続は力なり」を身をもって体験したのではないでしょうか。
優勝して初めて嬉し泣きもしたんだそうですよ!
忘れられない両親からの言葉
横浜流星さんは反抗期が長くて、中学校の頃から高校くらいまでだったそうです。
その間は、大好きな両親にも乱暴な言葉を使ってしまったこともあったんだとか。
大人になって一人暮らしをしてから親のありがたみがよく分かったと言います。
そんな横浜流星さんが両親から言われた忘れられない言葉があります。
それは、空手を今後も続けていくか本格的に俳優の道へ進むか迷っていた時期にもらったそうです。
「一度きりの人生なんだから、流星がやりたいことをやりなさい」
横浜流星さんは今日もこの言葉を胸に、自分の夢に向かって頑張っていると思います。
以上、横浜流星さんの子供時代についてでした。
幼少期の画像は本当にかわいかったですよね!