令和の墨書を書いた人は誰?辞令専門官という専門の公務員だった!

新元号の令和の字

2019年4月1日の昼前に新元号「令和」が発表されました!

発表は菅義偉(よしひで)官房長官によって行われましたが、
あの達筆な字を書いた人は誰なのでしょうか。

調べてみると、専門職の公務員発表の直前
ごぐ短時間で書き上げたものでした!

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新元号「令和」の墨書を書いた人は誰?

岐阜県飛騨市出身の書家茂住修身(もずみ おさみ)さんです。

茂住修身さんは書家でもあり「辞令専門官(職)」と呼ばれる
現職の国家公務員です。

書に興味を持ったのは父親の影響

書に関する道具

(画像はイメージです)

茂住修身さんは「菁邨(せいそん)」という雅号を持つ書家です。
雅号というのは書家としての呼び名のことですね。

茂住修身さんは、3人きょうだいの次男として生まれました。

書を趣味とするお父さんの影響で、
家には書道の道具や書籍が身近にあったそうです。

そんな環境だったから、
茂住修身さんも書道に興味を持ったのかもしれません。

子供の頃から字が上手かったと茂住修身さんのお母さんも話しているので、
なるべくしてなった感じがしますね!

出身は書で有名な大東文化大学

大学のイメージ

(画像はイメージです)

茂住修身さんの出身大学は大東文化大学です。

大学時代はは経済学部経済学科に在籍しながら、
書を学んでいたようです。

大東文化大学は日本で初めて「書道学科」を設置した大学だそうですが、
茂住修身さんは経済学科だったのですね。

平成29年4月から「大東文化大学書道卒業生の会」の
幹事長も務められています。

大学卒業後は辞令専門官として勤務

令和の字を書いた人茂住修身の勤務先

内閣府庁舎(出典:国土交通省HP)

茂住修身さんは、大学卒業後は総理府(今の内閣府)に勤務します。

所属は大臣官房人事課辞令係で主な仕事は、
政府内部の官記(官吏の任命書)辞令や「一億総活躍推進室」などの組織看板作成、
外部に対しては、国民栄誉賞の賞状などの作成です。

採用は一般的に行われる公務員試験ではなくて、
内閣府からの任命によって行われるという狭き門だそうです。

令和の字を書いた人茂住修身の作品

茂住修身氏が書いた看板(出典:首相官邸HP)

定年まで勤め上げたのち、
定年後も再雇用されて今に至ります。

辞令を書く仕事があるなんてびっくりですよね。

管理人は印刷だと思っていましたので・・・。

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「令和」の字は発表直前に書いたものだった

「令和」は茂住修身さんによって書かれたことを紹介しましたが、
この字はいつ書かれたと思いますか?

なんと、菅官房長官から発表される直前だったそうです!

新元号発表までのスケジュール

令和を決定した全閣僚会議

全閣僚会議(出典:首相官邸HP)

それでは、茂住修身さんが「令和」を書くまでの流れを見てみましょう。

  • 午前9時30分頃:有識者懇談会にて6つの新元号案を検討
  • 午前10時20分頃:菅官房長官が衆参両院の正副議長から意見聴取
  • 午前11時頃:全閣僚会議で各閣僚から意見聴取
  • 午前11時20分頃:臨時閣議で新元号を決定!!
  • 午前11時41分:菅官房長官が「令和」を発表

臨時閣議が終了したのが午前11時25分ですので、
茂住修身さんは10~15分ほどで書き上げたことになります!

すごい!!の一言ですよね!

この字が全世界に放送されて、そのあとも後世に残るものですから。

新元号の令和の字

出典:首相官邸ホームページ

それなのにこの綺麗な字!!

ちなみに新元号の残り5つの候補は、

「英弘(えいこう)」「久化(きゅうか)」「広至(こうし)」
「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」

だったようです。

事前に墨書を書くリハーサルをしていた

令和の字を書いた人茂住修身

出典:FNN PRIME

政府は墨書を書いてもらう時間は短いことが分かっていたので、
事前に新元号を書くリハーサルを行ったようですね。

茂住修身さんは新元号発表の3日前の2019年3月29日の金曜日に、
首相官邸に行っていたと報道がありました。

この時に、墨書の道具を揃えて本番さながらに文字を書いたのでしょうね。

ただこの時点では新元号の候補も教えられてはいなかったと思うので、
別の文字を書いたと予想されます。

「平成」を書いた人は茂住修身さんの先輩

「令和」は現職公務員の茂住修身さんが書きましたが、
平成」はどうだったのでしょうか?

調べてみると書いた人は、
茂住修身さんと意外な繋がりがある人物だったようです。

平成の字は辞令専門官 河東純一氏が書いた

令和を書いた人茂住修身の先輩河東純一

出典:LiNCSブログ

平成の字は、書家・河東純一(かとう じゅんいち)さんによるものです。

河東純一さんも内閣府の辞令専門官で、
茂住修身さんと同じ大東文化大学出身です。

書道学科ではなくて、文学部中国文学科だったそうですね。

総理府には1974年に入府し、
定年退官する2007年まで約33年間勤められました。

2005年(平成17年)には今までの功績が讃えられて、
第18回人事院総裁賞(個人部門)を受賞されています。
こちらの人事院ページ中央より少し上あたり

退官した後は、埼玉県で書道教室をしているそうですよ。

河東純一氏が平成の字を書いた時の状況は?

新元号発表のイメージ

(画像はイメージです)

新元号を額に入れて示すやり方は、
当時の小渕官房長官のアイディアだったそうです。

でも、普通の半紙に字を書くと墨が乾くまで時間がかかり、
ガラスがはめられません。

上司の人事課長にその問題をどうするかも任された河東純一さん。

しかも特別な紙は使わずに、職場にあるものを使うようにとも言われました。

河東純一が平成を書いた時に使用した奉書紙

(朱印帳にも使われている奉書紙)

そこで思いついたのが「奉書紙」と呼ばれる和紙。

奉書紙は厚みがある紙で、
見舞金などの包み紙に使うために職場にストックしてありました。

ですが、この紙は墨の吸い取りが良くて
半紙の感覚では全く書けません。

上手く書けるようにと自宅で何度も練習を行ったそうです。

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事前準備として、パネルに奉書紙を貼ったボードを作りました。

河東純一さんへは新元号の情報は全く知らされていなくて、
「新聞」で候補が3つあると読んだのでボードを4枚作ったそうです。

4枚にしたのは、当日部屋で正式に決定される前に候補3つを書いて、
決定後に最後の1枚に書くという河東純一さんの考えでした。

それにしても、小渕官房長官が持っていた額の中身は
河東純一さんのお手製だったのですね!

河東純一が平成を書いた時の机のイメージ

(画像はイメージです)

そして新元号発表の1989年1月7日。

当日は朝の5時に連絡があり、作業場へ向かいました。
(新元号の発表は午後2時36分)

場所はいつも出勤している内閣府人事課と同じ庁舎3階の会議室。

河東純一さん用の机は用意されていなくて
職員が机の書類の山をどけて「ここでお願いします」
と言われたんだとか!

何かびっくりですね!

そして、新元号の他の候補も知らされずに、
発表の20分前に「平成」と鉛筆で縦書きされた
小さなメモ紙だけを渡されました。

河東純一が平成を書いた時の筆のイメージ

(画像はイメージです)

物凄いプレッシャーかなと思いきや、
そのようなことは無かった河東純一さんは言います。

それは、「何時まで書いて」という指示が無かったことと、
4回同じ字が書けると思ったからだそうです。

そして一気に4枚を書き上げて、
まだ乾いていない最後の4枚目を渡しました。

書く前から最後の4枚目を採用すると決めてたんだとか。

それは、集中して書けば1枚目よりも4枚目が悪い字になるはずが無い
という河東純一さんの考えがあったからです。

平成の字の舞台裏にはこのようなドラマがあったのですね!

 

以上、「令和」の字を書いた人、茂住修身さんについてでした。

茂住修身さんはどのような状況で「令和」を書いたのでしょうね。

さすがに専用の机は用意されていたと思うのですが。

明らかになるのが楽しみですね!

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