俳優の赤楚衛二さん、実は大学を中退しているんです!
そして通っていた大学は父親が関係しているんだとか。
この記事では赤楚衛二さんの出身大学や大学生活のエピソード、大学中退の理由などについてご紹介します。
赤楚衛二の出身大学は名古屋学院大学
赤楚衛二さんの大学は、本人は明言されていませんが名古屋学院大学ではないかと言われています。
名古屋学院大学は愛知県にあるキリスト教主義の総合大学です。
名古屋学院大学
- キャンパス|名古屋市、瀬戸市
- 学部数|8学部11学科
- 学生数|約6,000人
名古屋学院大学には2つのキャンパスがあります。
【名古屋キャンパス】
- 経済学部
- 現代社会学部
- 商学部
- 法学部
- 外国語学部
- 国際文化学部
- リハビリテーション学部
【瀬戸キャンパス】
- スポーツ健康学部
他にも、大学院と留学生別科があります。
英米語専攻で言語学を学ぶ
赤楚衛二さんは2017年12月1日の朝日新聞の記事で、英米語を専攻したと発言しています。
大学で英米語を専攻したときも、単に語学としてではなく、学問として面白いと感じられたんだと思います。
出典:朝日新聞(2017年12月1日)
赤楚衛二さんが大学に入学したのは2012年です。
2012年の名古屋学院大学のシラバスを調べると、英米語学科の基礎セミナーが該当しました。
おそらく当時赤楚衛二さんが受けた講義でしょう。
名古屋学院大学の英米語学科があるのは外国語学部です。
赤楚衛二さんが通っていたのは、外国語学部英米語学科の可能性が非常に高いと思われます。
偏差値はどれくらい?
名古屋学院大学外国語学部英米語学科の偏差値を調べてみました。
調べたところ偏差値に幅があるようですが、大体42.5~54であると思われます。
外国語学部について、大学HPにはこのように記載されていました。
外国語学部では、少人数教育による英語教育を行い、自分の考えを的確に表現できる高度な英語コミュニケーション能力の養成に取り組んでいます。「学部生の半数以上が留学を経験」し、実践的な英語力と異文化への理解力を身につけています。
出典:名古屋学院大学HP
国際舞台で活躍できる英語力を身につけることができる大学のようですね!
大学生活のエピソード
赤楚衛二さんの大学時代のエピソードはほとんど公開されていません。
ですが、過去のブログで大学エピソードを語っていました。
赤楚衛二さんは大学時代にアルバイトをしていたようですね。
VOGUE GIRLのインタビューでこのように語っています。
何のバイトしてたんですか?
やったことあるのが、派遣のバイト、喫茶店、ケーキ屋、焼肉屋。上京してからはケータリング、あと居酒屋で働いて、バイト時代が終わったっていう感じですね。
上京前まで派遣や喫茶店、ケーキ屋や焼肉屋で働いていたとのこと。
これだけ経験するには相当アルバイト漬けの大学時代だったのではないでしょうか。
赤楚衛二が名古屋学院大学を選んだ理由
赤楚衛二さんが名古屋学院大学を選んだのは、父親が理由だった可能性が高いです!
赤楚衛二さんの父親は実は有名な言語学者である赤楚治之(なおゆき)さんです。
1989年から名古屋学院大学に就任され、2020年4月に学長に就任されています。
こちらが父親・治之さんのお写真です。
やはり赤楚衛二さんに似ていますよね!
お父さんについてはこちら:赤楚衛二の父親は大学学長!人気の英語教授で吉川晃司の大ファン
赤楚衛二さんは中高生時代は主に英語を教えてもらったそうです。
名古屋学院大学で教授として働く父親に、日々勉強を教えてもらっていた赤楚衛二さん。
その経験から父親と同じ大学である名古屋学院大学に進学したと思われます。
言語学のエキスパートに英語を教えてもらっていたのだから、英米語学科に進むのも当然ですよね。
赤楚衛二さんは、当時教授をされていた父親の講義を受けたそうです。
父の講義は、話術も内容もすごくて、父への見方が変わりましたね。
出典:朝日新聞(2017年12月1日)
先ほどご紹介した英米語学科の基礎セミナーは1年次春学期の講義でした。
教員名が父親の赤楚治之さんですので、インタビューの内容はこの講義かもしれませんね!
大学で父親の講義が受けられる環境、とても恵まれていますね。
大学を卒業せず中退!その理由は?
赤楚衛二さんは大学2年生の時、名古屋学院大学を中退しています。
理由は俳優を目指すために上京するからでした。
赤楚衛二さんは小さい頃から俳優になりたかったそうです。
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俳優を目指したきっかけは?
2021年のインタビューで俳優を目指したきっかけを語っていました。
昔から俳優になりたかったそうですが、きっかけは何ですか?
赤楚:家族で映画を観て楽しんだ記憶があって、シンプルに両親を楽しませたかったんです。
きっかけはシンプルですが、心優しい理由ですね。
赤楚衛二さんは、2010年から名古屋のご当地アイドルグループ「BOYS AND MEN」で活動をしていました。
当時は本名の赤楚衛(まもる)の名前で活動していたようです。
現在の赤楚衛二へ改名したのは2015年1月15日のようですね。
BOYS AND MEN時代のブログ「まもるの青春日記」を最後に更新していたのは2012年7月17日でした。
そのことから2012年7月時点ではメンバーだったようです。
それ以降、BOYS AND MENとしての活動はありません。
また、「まもるの青春日記」のプロフィールにこのように記載されていました。
演技が上手な役者さんになれるよう努力しています
出典:Akaso Mamoru official Blog まもるの青春日記
BOYS AND MEN時代から俳優になることを目標にしていたのですね。
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大学時代にオーディションでグランプリに!
赤楚衛二さんは2013年に、サマンサタバサメンズモデルオーディションでグランプリに選ばれました。
これをきっかけに芸能界に入るため上京を決意します。
2021年のインタビューでは上京のきっかけをこのように語っていました。
20歳の時にサマンサタバサのオーディションに受かって、いまの事務所に呼んでいただいて上京しましたが、それがなければ、大学を卒業して普通に就職していたはず。
20歳の時、人生が大きく変わり始めたんですね!
同じ大学の父親の反応は・・・
東京の事務所に入るためには大学を中退する必要がありました。
赤楚衛二さんは大学を中退することを父親に伝えると、このように言われたそうです。
やりたいことを見つけたならいい
教育熱心で勉強に厳しかった父親ですが、本当にやりたいことには背中を押してくれたのですね。
赤楚衛二さんの父親はこのようにも話していました。
最近、父が、「子どもは思うように育たないな」と笑っていました。
出典:朝日新聞(2017年12月1日)
きっと父親は、大学で学んでいた英米語関係の分野に進んで欲しかったのでしょう。
ですが本人の進みたい道を尊重してくれる素晴らしい父親ですね。
父親の教育により、陰での努力を惜しまないことを大切にしているという赤楚衛二さん。
父親への思いをこのように語っていました。
父が思い描いていた将来の姿とは、まったく違っているかもしれない。でも、今の仕事で活躍して、「この育て方で良かったんだよ」と証明したいと思っています。
出典:朝日新聞(2017年12月1日)
注目の若手俳優として話題のドラマやメディア等で活躍する赤楚衛二さん。
名古屋学院大学は中退しましたが、当時の選択は正しかったのではないでしょうか。
これからも活躍を期待したいと思います!
以上、赤楚衛二さんの出身大学や中退理由についてでした。
赤楚衛二さんはボイメンにも所属していました:赤楚衛二と平野紫耀はボイメンの初期メンバー!先輩は平野だった